看板・サインのやさしい日本語01

街の中には、言葉があふれている。

駅の案内板、市役所の掲示物、避難経路の表示、公園の注意書き。それらはすべて、誰かに届けるために作られた言葉だ。けれど、「書いてある」ことと「届いている」ことは、同じではない。

届いていない人たちがいる

まずはっきりさせておきたいことがある。観光客への対応も、公共の言葉の課題のひとつだ。しかしこの記事が考えたいのは、街で暮らす人たちへの言葉である。その場所に日常的に存在し、その言葉と繰り返し向き合わざるをえない人たちに、公共の言葉は届いているか。

在住外国人に、届いているか。
日本語を学んでいても、難読漢字や行政用語の壁は高い。「罹災証明」「瑕疵」「遡及」——こうした言葉は、長年日本に住む人でも一瞬止まる。

高齢者に、届いているか。
小さな文字、長い文章、複雑な条件分岐。情報量を詰め込むほど、読み解くための体力が必要になる。

子どもに、届いているか。
公共の場にある言葉の多くは、大人を前提に書かれている。子どもが読む必要のない言葉もあるが、避難指示や安全に関わる言葉は別だ。

認知症のある人・読字に困難のある人に、届いているか。
文字が読める・読めないだけでなく、情報を処理する速さや方法は人によって大きく異なる。

正確だから、届かない。

これだけ異なる人たちが「届いていない」という状況に置かれているのは、偶然ではない。

届かない理由は、それぞれ違うように見える。しかし根っこにあるのは、ひとつのことだ。

言葉が、読者を想定していない。

公共の言葉の多くは、「正確に書くこと」を優先して作られている。法的根拠、条件、例外——すべてを盛り込もうとするほど、言葉は複雑になる。誰かに届けるための言葉ではなく、書いた側が責任を果たすための言葉になっていく。

やさしい日本語の登場、そして限界

こうした問題への応答として、「やさしい日本語」という考え方が広まってきた。1995年の阪神淡路大震災をきっかけに生まれたこの概念は、在住外国人や日本語学習者にも伝わるよう、語彙・文法・表現をシンプルにするものだ。行政や公共機関での採用も増え、その意義は大きい。

しかし、ひとつの問いが残る。

やさしい日本語は、日本語母語話者にとって自然に読める言葉か。

率直に言えば、そうではない場合がある。ふりがなが全漢字につく表記、短く区切られた単純な文体——それは外国人や子どもには読みやすいが、日本語母語話者には「子ども向け」あるいは「自分には関係ない」と感じさせてしまうことがある。

デジタルとフィジカルの決定的な違い

「それなら、外国人向けと日本人向けでターゲットに合わせて出し分ければいい」という声もあるかもしれない。

実際、デジタルの場合はその解決策が有効だ。ウェブサイトやアプリでは、ユーザーが言語や難易度を選択すればいい。

たとえば、チームみらいが運営するプラットフォーム「みらい会議」は、国会の法案をわかりやすく伝えるために、ボタン一つで言葉の難易度やふりがなの有無を調整できる機能を実装している。読者が限定されているパンフレットなども同様で、ターゲットに特化した「やさしい日本語」を貫けばいい。

しかし、看板・サイン・自治体広報はそうはいかない。

駅の案内板に「言語を選択してください」とは書けない。公園の注意書きを日本語版と外国人版の二枚に分けることもできない。市役所のロビーに貼られた掲示物は、窓口を訪れた全員の目に入る。

公共の場にある言葉は、読む人を選べない。一つの言葉が、全員に届く必要がある。

第三の言葉が必要ではないか

今、やさしい日本語は、「マイノリティのためのやさしい日本語(Easy Japanese)」と、「マジョリティのためのやさしい日本語(Plain Japanese)」に分けられて議論されている。主に在住外国人のためのEasy Japaneseと、公用文を日本人にわかりやすく理解してもらうためのPlain Japaneseという区切りだ。

しかし、看板・サイン・自治体広報のような「誰もが受け取る言葉」に必要なのは、Easy JapaneseでもPlain Japaneseでもない。日本語学習者と日本語母語話者が、共に違和感なく理解できる言葉。そういう言語ではないだろうか。

次の記事では、この「第三の言葉」について考えていく。

参考文献

庵功雄(2026)『2つの「やさしい日本語」:「やさしい日本語」社会実装のための概念規定の試み』『「やさしい日本語」とその周辺: 多様な広がりと進化する理念

森平 周

森平 周 Shu Morihira

神戸市を拠点に活動するコピーライター・クリエイティブディレクター。まちのことば社代表。日本産業広告賞・BtoB広告賞・朝日広告賞 受賞。自治体・地域ブランド・企業の広告コピーやブランディングを手がける。

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