
敗者の物語は、世の中に少ない。
と言い切ると、悲劇はどうなんだとか、バッドエンドで終わる物語もあるぞ、みたいな疑問が湧いてきた。でも、悲劇は勝者(王様とか)が転げ落ちて行く過程を楽しむものだし、バッドエンドの前にはハッピーエンドへの道のりも感じさせるような幸せな瞬間が存在している。主人公の多くは、どこかの一瞬でも勝者となっている人なのだ。
エトガル・ケレットの場合は、まったく違う。この『オートコレクト』には徹底的に敗者しか登場しない。負けて、負けて、負け続けてきたような人たちだ。そしてこの敗者の物語を読むと、僕は決まっていつも励まされる。エトガル・ケレットの描く敗者は、負けているけれど、なぜか笑っているからだ。敗者がそこにユーモアを見出したとき、読んでいるこっちは訳がわからなくなる。どうしてコイツは笑ってるんだ? 楽しんでいるんだ? 悲観的にならないんだ? 訳がわからない。そして、訳もわからないままに、なぜか励まされてしまうんだ。
人生、生きてりゃ幸せなことも、勝つこともある。エトガル・ケレットの主人公たちが負け続けられる理由の一つは、小説の特徴でもあるその「短さ」にある。
日本では掌篇小説、アメリカではフラッシュフィクションとも呼ばれるほどに彼の小説は短い。『オートコレクト』に掲載されている作品だと、最も短いもので2ページ。長いもので11ページ。気軽に読むことのできる短さの作品が33篇入っている。その一篇一篇に違うアイデアが詰め込まれていて、例えばSFチックなものだったり、子ども目線の物語だったり、そのアイデア自体も楽しめるのだけれど、全てに共通しているのはやっぱり「敗者の物語」だという点だ。
訳者あとがきによると、彼の作品は40以上の言語に翻訳されている。AIに聞いてみると村上春樹は50以上、吉本ばななも30以上の言語に翻訳されているようだから、エトガル・ケレットも大人気作家と認識してきっと間違いない。
けれど、日本での知名度はイマイチな気がしている。僕はそれが悲しい。もっとたくさんの人が読んでもいいのに! 彼の語り口は、子どもに話を聞かせるように平易で、身近で、読みやすい。とても短いから、気軽に手を出しやすい。最近、小説がなかなか読めていない人におすすめだ。そして何より、エンタメ作品では心が晴れない人にも読んでもらいたい。彼の作品は「どう勝つか」ではなく、クソッタレな状況で「どう笑うか」が描かれている。ありえないどんでん返しで最後には主人公が勝ってしまう物語よりも、彼の書く敗者の物語の方がよっぽどスカッとすると思う。
ちなみに(これはあえて最後に書くのだけど)エトガル・ケレットはイスラエルの作家だ。だからといって彼の作品を読んでも、イスラエルの現状が分かるわけではない。でも、死や理不尽が身近にあるからこそ書ける物語なのかもしれない。
彼は息子と過ごした日々をエッセイとしても書いていて『あの素晴らしき七年』として日本語訳もされている。イスラエルの生活を知りたい人には、そちらも読んでみてほしい。
【書籍情報】
タイトル:『オートコレクト』
著者: エトガル・ケレット / 訳者: 広岡 杏子
発行: 河出書房新社(2025年9月26日 初版発行)
定価: 2,970円(本体2,700円+税)
ISBN: 978-4-309-20931-9
