枕草子(酒井順子訳)

高校生の頃、古文は苦手だった。漢文は仏教的な香りをまとったキャラの濃い教師がいたおかげか、ほとんどの生徒が得意だったことは覚えているが、古文の先生は顔も名前も思いだせやしない。センター試験でも古文のパートだけは勘と祈りだけで解いていた。だからこそ解説の中で「この有名な一文だけは知っている人は多いだろう」と書かれても、僕は正直まったくピンとこない。

そんな出来の悪い学生だった頃から10年が経ち、はじめて枕草子を読んでみると、一の段から素晴らしすぎて震えてしまった。

春は、夜明けが好き。次第に白んでくる山際の空が少し明るくなって、紫がかった雲が細くなびいているのが。

夏ならば、夜。月が出る頃であれば、もちろんのこと。闇夜でも蛍がたくさん飛びかっているのがよいし、また、わずか一匹二匹ほど、ほのかに光って飛んでゆくのも素敵。

枕草子(池澤夏樹=個人編集 日本文学全集07)

平安時代の春夏秋冬の美しさを、2026年に生きている僕が感じ入ってしまうほど綺麗に描写ができるということ。とても月並みな感想だけど、清少納言の観察眼と、彼女と訳者の酒井順子さんの言語能力の高さに、惚れ惚れしてしまう(一の段だけは、絶対暗記するぞと心に誓った)。

神戸に移住してから、山が緑一色ではないことを知った。朝起きてから見る六甲山は、毎日、色を変える。稜線の上に乗せる雲の形が違う。静けさが違う。陽射しの強さによって陰影が違う。山を前に僕はこれをどう表現したらいいものか困っていた。答えの手がかりの一つは枕草子にあった。自然の描写はやはり昔の人に学ぶのが良いのだろう。

あとこれも解説に書かれていることだけど、構成の自由さがいい。思ったこと、思い出したことを、そのままに書き綴っている(ように読める)スタイルは、今の本ではほとんど見られることがないのではないか。「で、何を言いたいんですか?」という態度に、「いや勝手に筆が動いて書いてしまったんですよ」と答えてしまう随筆を好きになった。

今や筆を使って言葉を書くことは少なくなった。ならば、「勝手に指が動いて」だろうか。それだと「指」は自分の身体の一部だから説得力がない。では、「勝手にキーボードが」か。うーんキーボードとかPCは「勝手に動き出す」とは相性が悪そうだ。SNSで誰からでも攻撃を受けるようになってしまった今、現代の書き手たちはなんとかして「筆が勝手に動いていたんです」流の逃げ方を模索しないと息苦しいだろうな。誰か開発してください。

最近では、詩人の最果タヒさんが訳した枕草子が出版された。橋本治さんの桃尻語訳と合わせて、読み比べて楽しみたい。

方丈記(高橋源一郎訳)

高橋源一郎さんの訳が素晴らしいんじゃないか。一番短い随筆なのに、読後は最も満足した。鴨長明さんの生い立ちもいい。

クヨクヨはせず、思い切って出家してしまう。と言っても、念仏を唱えないときだってある。鴨長明の柔らかな生き方が好きだ。

方丈記を「モバイルハウスダイアリー」と突飛な訳し方をしているのだけど、読んでみた作者の鴨長明を好きになっているのだから、やっぱり翻訳が素晴らしいんだ。

徒然草(内田樹訳)

いつ死ぬか分からない、いつ死ぬか分からない、いつ死ぬか分からない、ともう何度もだめ押しされた感じ。

いつ死ぬか分からないという気持ちで毎日全力を尽くせればいいだろうけれど、締め切り前に本気出せるのと一緒で、人生のラストが見えた人でないとそうは思えないのだろうなぁ。

だって兼好法師も高齢だったんでしょ?

【書籍情報】

タイトル: 枕草子/方丈記/徒然草 (池澤夏樹=個人編集 日本文学全集07)

著者: 清少納言、鴨長明、兼好法師

訳者: 酒井順子(枕草子)、高橋源一郎(方丈記)、内田樹(徒然草)

発行: 河出書房新社(2016年11月12日 初版発行)

定価: 3,080円(本体2,800円+税)

ISBN: 978-4-309-72877-3