チェコスロバキアの作家ミラン・クンデラによって書かれた世界的ベストセラー小説。
読んでまず疑問に思う。なぜ世界中で売れたんだろう?
これから先、何度も読み返すことになると予感するほどに面白い小説だった。けれど、今この小説が発表されたとして売れただろうか?
ベストセラーになるにはあまりにも「物語」から逸脱する。それにリアリズム小説からは遠ざかるように著者がたびたび顔を出してくる。
例えばこんな具合に。
私はもう何年もまえからトマーシュのことを考えている。だが、彼の姿が初めて私にはっきりと見えたのは、以上のような考察をきっかけにしてだった。
存在の耐えられない軽さ 第1部第3章
作者としては、自作の登場人物たちが現実に存在したと読者に信じさせようとするなど愚かなことだろう。
存在の耐えられない軽さ 第2部第1章
僕が手に取ったのは池澤夏樹の世界文学全集版。集英社文庫版の帯には「20世紀恋愛小説の最高傑作」と銘打たれている。不思議と恋愛小説だとは読まなかった。どちらかというと、ミラン・クンデラの人生に対する省察で、物語に没頭すると体験ではなく、本を読み進めながら自分の人生に対して何度も振り帰ってしまう。そんな体験だった。過去を懐かしむというよりは、自分の人生に対して影響を与えたいくつもの要因に気付かされていく、見えなかったものが見えていく感覚。だからこれは、恋愛小説よりも、哲学小説に近い。でも一つの結論に収斂するのではなくて、分散していくから、僕は日記的だとも思った。
「物語」の話をするならば、この小説は、外科医トマーシュと妻テレザ、芸術家サビナと愛人フランツの四人を軸に進んでいく。時代は、チェコスロバキアの「プラハの春」前、そして民主化に失敗しソ連に占領された後を描いている。
トマーシュは二年間で二百人もの女性と関係を持つ探求家(彼は外科手術で皮膚を切り開くようにして女性に百万分の一ほどの他人との差異を発見しようと躍起になっている。快楽を追求しているわけではない。)、反対にテレザは全てを捧げることで愛を示そうとする(そのように母親から教育された)。設定だけ読めば二人は反発しあってまた和解するようなメロドラマ的展開になりそうなものだけど、小説はそこに注目しない。
ミラン・クンデラが考えるのは、トマーシュが、テレザが、サビナが、フランツがなぜそのように生きたのかだ。だから、著者の省察がくどくど、くどくど、難しくてわからない箇所もありつつ続く。頭がよすぎるよ!ミラン・クンデラさん!
でも、その粘り強い思考のおかげで、世の中の見えていなかったことが、見えてくることもある。(難しすぎて目が滑ることも、もちろんある。)
僕は二つのキーワードに強く殴られて、人生をほんの少しだけ詳しく観察することができるようになった。「偶然」と「恥」だ。
【偶然】
ミラン・クンデラは考える。女性とは性交するだけの関係に留めていたトマーシュが、なぜテレザと結婚したのか。そこには「偶然」が影響しているのだと。
二人が初めて遭遇した日、いくつもの偶然から二人は知り合った。ほんの小さな偶然が重なった結果、二人は結婚した。そのように二人は思っている。
この「偶然」を二人が一緒になるための「必然」と看做してしまう感覚を、僕も前から持っている。
妻と結婚した理由の一つに僕も「偶然」があると考えていたのだ。恥ずかしいから一つだけしか書かないけど、例えば、妻の出身地は僕の祖母の家と近く、妻の知っている風景を「偶然」僕も知っていた。
妻の母や祖母は、僕と話すときにその「偶然」を、「縁」と言い換えて大事そうに話す。そして僕自身も、その「偶然」を心の底では握りしめている。
おそらくそれらいくつかの偶然(中略)こそが、彼女の愛を始動させ、彼女が最後まで汲みとることになるエネルギーの源泉になったのだ。
存在の耐えられない軽さ 第2部第11章
池澤夏樹さんはこう解説する。
そうやって、偶然の作用やメタファーの助けを借りて、人は自分の選択に重みを加える。選択そのものは軽いのだ。ぼくたちは大事なことでも実はふっと軽く決めている。その軽さが不安だから、拠り所がほしくて、偶然などを持ち出す。
存在の耐えられない軽さ (池澤夏樹=個人編集 世界文学全集 1-3) 月報
偶然は選択の補強なのか、選択するためのエネルギーなのか。人生に対して積極的に影響を与えてしまうようなエネルギーだと今は思う。
考えてみれば、物語に「偶然」は必要な要素だ。主人公とヒロインはある「偶然」から知り合い、困難をともに進む。「偶然」は大それたものだと興醒めするが、ささやかで、リアルなものであればあるほど私たちは登場人物たちに熱狂してしまう。
人間は(自分の人生の)物語を理解しようとする上で、「偶然」からはじめてしまう性格を持っているのかもしれない。
(マッチングアプリが流行しはじめた頃、「自然に出会いたい」と拒否感を示していた人が多かった記憶がある。今考えてみれば「偶然性」がなくなることを恐れていたのだろうか。でも偶然は考え方次第でどうにでもなる。マッチングアプリ以前は出会う前にも偶然を見出していたけれど、マッチングアプリ以降は出会って以降に偶然を見出すようになっているだろうから、全く問題がない。)
【恥】
ロシアに占領されたあとのチェコスロヴァキアで外科医として務めているとマーシュは、共産主義を盲目的に信奉していた人々を糾弾する記事を、ある雑誌へ送り、掲載される。
共産党は部長を経由してトマーシュに選択を迫る。撤回書を書くか、それとも今の職を失うか。言い換えると、「恥」を担保に以後の行動を制限されるか、「恥」ない行動を取り惨めな身分になるかを。トマーシュは生き恥をさらすことはせず職を辞した。
「恥」なんて気にすることないと一蹴する人もいるだろうけど、人間は見られなければ生きることのできない動物だ。恥は自分ではどうすることもできず、他人から押し付けられるものなので、気にする気にしないではないのだ。
僕はこれまで気がつかなかったけれど、「恥」は人生の選択に大きな影響を与えていたのだ。
話は大幅にそれるが、横山光輝さんの「三国志」を隙間隙間に読んでいる。三国志の中にも「恥」の取り扱いで臣下が忠臣に成長したり、逆に恥を濯ごうと躍起になった結果、死を招くことにもつながっている。
「恥の哲学」とかあるのだろうか。読んでみたい。
サビナとフランツのことを全く触れられなかったけれど、僕は二人のことも好きだ。未知を美しさと捉えて恐れずに進むサビナに憧れてしまうし、哀れなフランツにも共感する。
きっと誰が読んでも、引っかかるテーマ・ワードの一つ二つはありそうだ。数年後の別人になっている自分は、どの箇所に引っかかるのだろう。今から楽しみだ。
【書籍情報】
タイトル:『存在の耐えられない軽さ』
著者: ミラン・クンデラ
訳者:西永 良成
発行: 河出書房新社(2008年2月13日 初版発行)
定価: 3,080円(本体2,800円+税)
ISBN: 978-4-309-70943-7
